福島とともに考え、ともに進んでくれないか(新聞テオリア第90号・2020年3月10日)

新聞テオリア第90号・2020年3月10日
福島とともに考え、ともに進んでくれないか
平田誠剛(大震災義援ウシトラ旅団)
 3月11日がくれば、東日本大震災・福島第一第二原発の事故から9年、10年目の苦闘に福島の人々はむかうことになる。「大震災義援ウシトラ旅団」が主な活動の舞台としてきた「泉玉露応急仮設住宅」はすでに昨年春に閉鎖になった。むろん、無理強いに行き場のない人たちを追い出すわけにいかず、いまも数人が暮らしている。
泉玉露応急仮設住宅はいわき市に作られた富岡町の仮設住宅で、多いときには450人ほどが生活した。各地を転々としてきた富岡町の避難者が、震災の年の9月から11月にかけて入居してきた。その規模の大きさと、住民自身による活発な活動で、いわき市における富岡町住民の「拠点」となっていたところである。
住民自治の核になっていた「ほっこりカフェ」の活動は、いまは近所の「泉グレイス教会」で相変わらず盛況である。
富岡町はいわき市から北へ60キロほど、事故当時人口1万2000人の双葉郡では比較的大きな町だった。双葉郡の行政機能の中心を担っていたらしい。
この町には福島第二原発が立地しており、大震災の折にひとつ間違えば福島第一原発同様の事態に至る事故を、あの日に起こしている。一時は全電源喪失で原子炉を冷却できなくなり、その後に辛うじて福島第一のような破局を免れただけなのである。
富岡町は、福島第一がある大熊町の隣にあり、福島第一と第二は10キロと離れていない。そのために緊急の避難がもっとも必要とされた町のひとつであった。
福島の状況は思いつくまま列挙しても、第一原発汚染水の海洋放出(取ってつけたように大気放出も並べてある)、最後に残った双葉町の避難指示解除(聖火リレーへの双葉ルート選定)、中間貯蔵施設の扱い、東電の拒否が一般化してきたADR、避難先定住を選んだ避難者支援の今後、自主避難者への住居追い出し方針(社民党まで追出し訴訟に賛成票を投じる県政・県議会の惨状)、子どもたちに出ている甲状腺の異常と定期診断の行方、東電経営者の原発事故責任を問う刑事裁判への取り組み……、それにいわきから拠点を双葉郡へ拠点を移している原発労働者の待遇・健康問題(福島第一で過労死した労働者遺族や、白血病を発症した元労働者の裁判)などなど、どう解決をつけられるかさえ、定かにならない課題が山積みである。
今回は、富岡の避難者に聞いてきた話をもとに、現在の福島県、とくに浜通りと呼ばれる地域について報告しよう。
※以下、本紙に掲載
「パフォーマンスだろ、やってることは全部」
――富岡からの避難者Sさん
「原発爆発さま、さま、ってやつがいるんだよ
――富岡町避難者Hさん
「こどものいまと、この先が心配です」
――某TV局ディレクター
「国も県もどうしていいのか、わからないのじゃない?」
――某認定NPO代表者
「開票後の車には『東電に勝った!』の電話がかかり続けた」
――大熊町町議選候補スタッフ

「現場で悩み、一緒に苦労するやつが必要だ」