横堀農業研修センター(旧労農合宿所)裁判を支える東京集会を開催

4月7日、横堀農業研修センター(旧労農合宿所)裁判を支える東京集会を開催した。参加者は73人。主催は同裁判を支える会。

集会では、合宿所の歴史、活動を紹介した写真パネルがはりだされ、三里塚での様々な運動を撮った写真アルバムの展示も。
集会資料では、合宿所の歴史の年表、被告にされた柳川秀夫さんの陳述書などを配布。

集会第1部「労農合宿所の始まりと裁判」では最初に、89年合宿所囲い込み阻止のたたかいをえがいた「どっこい闘魂 ここにあり」(1989年、三里塚映画社)を上映。
 被告の柳川秀夫さん(三里塚芝山連合空港反対同盟)からビデオメッセージ。
「第3滑走路建設で経済効果を生み出すという社会のあり方を三里塚は問うてきた。裁判でも社会のあり方として、滑走路問題を主張していく。問題がある以上がんばっていきたい」
 被告の一人の佐藤幸子さんは「陳述書をまとめるときに思ったが、三里塚の闘いは歴史からすると早かった。地球的課題として物事を立てるべき。皆さんと共に最後の最後まで志を曲げずにやっていきたい」
裁判についての繁山さんが説明。
 
 続いて「対談 労農合宿所の始まりの物語」では宮下さんの進行で、労農合宿所が建設された1977年当時、廃港要求宣言の会の事務局長だった鎌田慧さん、同事務局員だった白川真澄さんが対談。
2人は、76年にいいだもも、針生一郎など新日本文学会の作家など文化人によって廃港要求宣言の会はつくられ、その前に戸村選挙(74年)で作られていた三里塚闘争に連帯する会と共に、全国に三里塚闘争の呼びかけを行ってきたこと。前田俊彦さんが廃港要求宣言の会代表、鎌田さんが事務局長となったこと。
前田さん、加瀬さんの提案があって、労農合宿所が機動隊の妨害を受けながら、77年4~5月共有地に建設され、団結小屋がない人々も全国から集まれる場所として広く使われてきたこと。
77年5月5日合宿所開設翌日の岩山鉄塔抜き打ち撤去、5・8闘争と東山薫さんが機動隊にガス銃で殺されたこと。前田さんが九州から合宿所に移り住み、後に近くにひょうまん亭を建てたことなど、当時の闘いを証言。

第2部は「合宿所・横堀農業研修センターと三里塚/私たち」
大森武徳さんは子どものときに参加した子ども共和国についての思い出と現在の取り組みについて発言。
 原田さんがわくわくツアー、鈴村さんが田んぼくらぶ、木根さんがたくあん運動について報告。
裁判に対抗して取り組みが始まった横堀農業研修センターでの壁画運動呼びかけを宮下さんが行った。
支える会呼びかけ人から、関西の渡邉充春さん。
支える会から野島さんが第2回口頭弁論(4月22日)、第3回(7月1日)への傍聴行動など裁判支援の呼びかけ。
 最後に辻さんが、80年代性暴力問題を含めた合宿所年表についての説明と閉会あいさつを行った。

次回は4月22日13時半(集合13時)に第2回口頭弁論、千葉地裁。7月1日14時(集合13時半)に第3回口頭弁論。