報告=講座・三里塚闘争60年「地元農民にとって三里塚の闘いとは」

4月11日、講座・三里塚闘争60年第2回「地元農民にとって三里塚の闘いとは」を開いた。大森万蔵さん(元・芝山町辺田地区在住)が話した。
 講座では87年11月の自主耕作つぶしに対する闘いを撮った「俺についてこい」を上映。
大森さんは、「大阪出身、中学3年でベトナム反戦デモに参加して補導された。高校生の時は部落解放同盟の活動、自衛隊沖縄移駐阻止などに参加。就職後、デモで逮捕されて解雇され、三里塚に来た。
 三里塚では団結小屋での共同生活でアルバイトと援農、たまに鉄塔防衛の集会の日々。
 77年5月6日岩山鉄塔が抜き打ち撤去され、8日東山薫君が殺された。
 78年2月横堀要塞を赤ヘル三派を中心に造った。78年3・26の闘いで空港に突入して管制塔を占拠。反対同盟は2月と3月の要塞戦で幹部が支援と一緒に立てこもって逮捕された。
青年行動隊は東峰十字路事件で大半が逮捕され、打撃を受け、農業自身を問い直すということで有機農業の取り組みが始まる。野菜を売りながら運動を広げていく。
開港後、騒音、検問、「既成事実」との闘いが問われる。そして「成田用水」で反対同盟の中に亀裂が入っていく。
開港後、私は結婚して子どもができ、辺田部落に住む。辺田は古村なので村の仲間入りは住んでから数年後だった。
90年代に辺田部落も集団移転の話が出て移転していく。
三里塚闘争を大阪でテレビで見ていて、強大な権力が農民をいじめている分かりやすい構図。
でも、何を目指すのかで農民と支援で違っていた。支援は軍事空港反対、反権力の砦と言っていた。それにとどまらない三里塚闘争の意味・魅力をどう考えるか。反権力だけでない自然・農地・山林の大事さを捉え返さないといけない。私たちは有機農業の取り組み、考え方に注目し、考えていた。各地の生協に三里塚をやっていた人がたくさんいる。新しい社会を作っていくチャレンジが三里塚を受け継ぐという意味を持っている。
次の世代へのバトンタッチがなかなかできなかったというのはあるが、別の形で芽を吹いてくれればと思う。
私は小川源さん実家の土地を借りていたが、辺田集団移転の時は集団移転先についていく気になれず、成田市街を経て関西に住んでいる。
現地で住み続けて闘ってないという意味では「脱落」だが、違う形で伝えたり、自分が実践できることがあればやっていきたい。
あの闘い方そのままは引き継げないが、生き方のヒントになればと思う」

質疑応答では、中川憲一さんが復帰の挨拶。現在の強制収用の動きや団結小屋での生活などについて質問が出され、7月3日控訴審がある横堀農業研修センター裁判の報告が行われた。