三里塚フィールドワーク2025の報告

10月11日、三里塚フィールドワーク2025が行われた。主催は三里塚大地共有運動の会と横堀農業研修センター裁判を支える会。参加者はスタッフを含め33人。東京からの参加者の内、半数近くが初参加だった。

あいにくの雨だったが、東京駅丸の内を8時半過ぎに出発。
東峰に到着し、バスの中から東峰共有地、三里塚物産、東峰神社を見学。
横堀に行く途中で第3滑走路工事が始められた菱田を車内から見た。

横堀では、空港会社が作った鉄柱・鉄網に囲まれた横堀鉄塔・案山子亭へ。雨のため鉄塔には上れなかったが、鉄塔、案山子亭、農民像、原勲さんの墓について説明。案山子亭では、約50年前に沖縄県の岩山鉄塔共有者から三里塚に送られた檄布が披露された。

次に6月に土地取上・建物撤去の不当判決が千葉地裁で出された横堀農業研修センター(旧・労農合宿所)へ。
裁判被告の佐藤幸子さん、平野靖識さん(三里塚歴史考証室)の話を聞いた。
佐藤さんは「先日ひどい判決が出た。高裁に移るが、正直言って絶対勝てるとは言えない。守るべきものを守っていきたいという思いが、裁判で逆に強くなってきている。時代は動いているが、きちんと自分をもっていきたい。今日はしっかりと勉強していってください」
裁判で証人に立った平野さんは「裁判での私の務めはシンポジウム・円卓会議について。隅谷調査団が『あらゆる意味で強制的手段をとらない』という最終所見を出したので熱田派反対同盟は受け入れた。話し合いが頓挫した場合でも強制的手段をとってはならない。裁判では、裁判所が民事裁判は強制的手段でないと出してきた」

木の根ペンションでは、プールを見た後、ペンションで有機野菜弁当の昼食をとり、三里塚物産の落花生が販売された。
大森武徳さん(続木の根物語プロジェクト)は木の根の歴史、プール、ペンション建設、曳家でペンションが現在の場所に移された経過について話した。
「2010年から、子供のころ泳いでたプールの再開に取り組み、2011年20年ぶりにプール開き。その後、プールの中と庭を使って、盆踊り、イベントを行ってきた。音楽イベントには300人集まったことがある。文化的厚みを持たせたい。空港と鉄板1枚隔てた農的生活を体現し、発信していきたい」

昼食後、柳川秀夫さん(三里塚芝山連合空港反対同盟代表世話人)を訪ねた。
柳川さんは「滑走路を新しく造るというが、買収もまだできていないということで、私が生きている間はおそらくできない。
環境が大変な状況になっている。森・田んばを空港で壊そうとしている。これは環境に影響があるだろう。昔は御料牧場で木がたくさんあり、毎日霧が出たが、滑走路になって環境が変わった。夏前からほとんど雨が降らず、作物が作れない状況だった。滑走路で環境が変わって、ますます人が住みづらくなり、影響を与える。
今は反対運動も力関係を変えるのは難しいが、ダメなものはダメと。研修センター裁判をやっているが、力関係の中で最終的にいい状況にならないかもしれないが、やれることをやる。がんばっていきたい」

5月に第3滑走路建設工事が本格着工した菱田地区を改めてまわった。中郷・東は滑走路として埋め立てられ、辺田は遊水地で水没する。第3滑走路建設のためには20メートル以上の盛土が必要になる。山口幸夫さんは盛土に福島の汚染土が使われる可能性を指摘している。

菱田では樋ケ守男さんが騒音問題について説明。
「以前の空港建設では騒音地域で買うのは家屋だけだったが、今回は田畑も全部買って滑走路計画に賛成してほしい。滑走路認可の時、95%の地権者が買収に同意しているとされた。かつての空港建設の時は空港公団が移転地を用意したが、今回は自分で見つけてくださいとなっている。そのため買収交渉が進んでない。3月時点で民有地では70%しか買収できてない。空港会社は滑走路を造ることだけ一生懸命。
いまB滑走路は1時間34回離発着。C滑走路ができれば、合わせて倍。全体で年間50万回。計画では飛行機が飛ばないのは午前1時から5時。空港圏全体が不眠になる計画。5%が最初から買収に同意してない。一度移転した中郷、加茂はC滑走路で再移転になる」
第3滑走路南側となる加茂は731部隊・石井四郎の出身地として知られる。

A・B両滑走路に挟まれた「谷間地域」で騒音訴訟原告の話を伺った。団らんの時間でも、航空機騒音でテレビの音もよく聞こえない。騒音測定をしたら、飛行時にはっきりとした違いがある。空港会社が言うスライド方式はデタラメであり、4時間しか寝られないとなったら、様々な健康被害が出ることになる。

最後にトイレ休憩で岩山にある空と大地の歴史館に寄って、東京への帰路についた。