報告=座標塾第20期第5回「復権する資本主義批判――何が論点か」

11月15日、座標塾第20期第5回「復権する資本主義批判――何が論点か」を開講。
講師は白川真澄さん。

講演では、「資本主義の富が生まれる秘密は労働力の商品化にもとづく搾取。
資本主義は〈外部〉なしには成り立たない。
資本主義の?外部の領域は3つ。
1つは家族。労働市場の外部にあって、労働力の生産と再生産を担う領域。
2つ目は自然。資本は、自然の採取・加工や栽培にコストを支払う(労働力の投入)が、何の対価を支払うことなく無償で自然を利用する。
第3は植民地化された「南」の世界。
自己増殖を繰り返す自律的なシステムに見える資本主義は、〈外部〉からの価値=富の対価なしの取得=〈収奪〉に依存することによって、はじめて成り立っている。
マルクス『資本論』は、資本主義を自分の足で立って価値の無限の自己増殖運動を行なう自律的=自己完結的なシステムと捉えて、システムに内在する特有の矛盾と限界=制限を批判的に摘出した。〈収奪〉については、歴史的に一回切りの本源的蓄積を考察した。
ローザ・ルクセンブルグは〈外部〉に注目。資本主義は資本主義的な商品市場システムの内部では剰余価値を実現できず、「外部」つまり非資本主義的な領域への依存=進出なしには成り立たないと主張した。
〈外部〉からの収奪に光を当てたのがJ・ヒッケル。
ヒッケルは対価を支払わず〈収奪〉の対象となる〈外部〉として女性の無償のケア労働、自然、植民地を挙げている。
フレイザーは資本主義を、単なる経済システムとしてではなく、経済よりもっと大きな「社会秩序」として捉える。利潤追求の経済システムが非経済的分野との間で展開する相互関係。ケア、自然、政治などが経済を支えると同時に、経済がそれらを収奪する、そこでたえず軋轢が生じるような関係を含み込んだ社会秩序として捉える。
搾取と収奪は富を蓄積する2つの様式。
搾取は、労働力の商品化にもとづいて自由な契約による資本と労働の等価交換の外観=形式を保って剰余価値を手に入れる。
収奪は、対価を支払わずに富(価値)を手に入れる、つまり何らかの強制力による不等価交換による富の採取。
ケアの領域について、フェミニズムから資本主義を批判する。マルクスの規定では家事労働は無視され、労働力の価値にカウントされていない。
家事労働は商品化されなかった労働。無償の家事労働が、なぜ、女性に押しつけられるのか。家父長制の支配がある。
ケア労働は有償化されたが、不当に低くしか評価されない。上野千鶴子は「公的家父長制」と呼んでいる。
近代社会においては、家父長制は資本主義と結びつき相互に支え合う。資本主義の成熟とともに家事労働が商品化されたサービスになる.
女性が労働市場に進出しても、家父長制はなくならず姿・形を変えながら存続する。
フレイザーは、「ケア不足は、金融資本主義という現在の発展段階で現われた社会的矛盾のかたちである」
グローバル・サウスからの移住労働者への依存によって「ケア不足」は解消されるかに見えるが、結局は最底辺への危機の転嫁にすぎない。
人口減少・高齢化の時代には、相互依存性と脆弱性をもつ人間像を前提にしたオルタナティブな社会像の構築が求められる。ケア労働・ケア中心の社会と資本主義は両立できない.
エコロジーの領域からの志保主義批判はコモンズの再生から資本主義を超える。
資本主義による自然の〈収奪〉の制限は経済成長や利益獲得が可能な範囲内で行われる。経済成長を妨げるような厳しい規制や課金(環境税)は回避される
したがって、自然生態系の管理と利用は世界の多様な地域の環境に応じた〈コモンズ〉を再生し、そのネットワークの手に委ねられていくことが必要」

質疑応答では、新・性別役割分業をどのように批判するのか。批判はそのとおりだが、ケア労働の賃金を上げて資本主義に組み込めばいいのか。脱成長論との整合性はどうなるのか。生産手段公有化論をどう見るかなどの議論が行われた。

講演録は25年の新聞テオリアに掲載予定。具体的な日程は未定だが、来年も開講予定。